日本憲法は1946年2月に当時、日本を占領していた米軍総司令部の幕僚たちにより起草されたことは周知のとおりです。その起草の責任者となったチャールズ・ケイディス大佐とのインタビュー詳報の紹介を続けます。
今回の分は、ケイディス氏が受け取っていた上部からの簡単な指令では、戦後の日本は自国の安全保障、つまり自国の防衛のためにも、「戦争を放棄」することをうたっていたのを、同氏の一存で、その部分を削除した、というのです。
戦後史ではすでに知られた事実ではありますが、当事者の口から語られるとその経緯はへんになまなましく響いてきます。要するに、日本の憲法はこんなふうに大ざっぱに作られたということなのです。
古森 そういう事情だったのですか。さてここでまた話をひとつ新しい領域、「戦争の放棄」というテーマへと進めます。あなた方の憲法起草のガイドラインとなったSWNCC228には「戦争の放棄」に関する言及はなにもなかったわけですね。一連のJCS関係の指令書にも同様に戦争の放棄についての記述はまったくなかったのですね。
ケイディス そのとおりです。
古森 ではあなたは「戦争の放棄」という考えをどこから得たのですか。
ケイディス ホイットニー准将からです。ホイットニー将軍はそれをマッカーサー元帥から得た、と私に告げました。この点はあなたも多分、知っているように、そもそも戦争の放棄のアイディアがどこから、だれから考え出されてきたのかをめぐっては、いろいろ異論があるわけです。マッカーサー元帥は回顧録のなかで、それは幣原男爵(首相)が発案した、と述べている。幣原氏自身の回想録のようなものが、その点どう述べているか、私は定かではないが、学者など他の多くの人たちが、戦争放棄は幣原氏の思いつきではなかった、と私に告げました。私自身にはたしかなことはわからないのです。ただし私には自分自身のひとつの推測があります。もっともその推測にはほかのだれも同意してくれませんが。(笑い)
古森 そのあなたの推測とはどんなものですか。
ケイディス 私はそれ(戦争放棄のアイディア)が、幣原男爵と天皇との間の会話から出てきたのではないか、と思うのです。なぜなら天皇はすぐ直前に、みずからの神格を放棄し、そんな神格というのは伝説にすぎないと述べました。さらに天皇は日本が、こんご“完全な平和主義に徹する”ことによって、復興し、最繁栄するのだと述べています。天皇はこの“完全な平和主義”という表現で、一体、なにを意味しようとしたのでしょう。私が察するに、それは戦争とか軍国主義のタネとなりうるものをすべて取り除く、という意味だったと思うのです。もっともこれは私の完全な推測です。(笑い)
古森 幣原首相と憲法第九条については、ごく最近、幣原氏の子息(幣原道太郎元独協大学教授)が、日本の雑誌に寄稿して、憲法第九条を発案したのは父ではない、マッカーサー元帥こそがその発案者であり、幣原首相に発案者たることを強要した。当時の政治的理由により幣原首相はそれに調子を合わせてそういうふりをせざるえなかった――と激情あふれる筆致で書いています。これに対しあなたはどう答えますか。
ケイディス 私がただいえるのは、そういうこと(幣原道太郎氏が書いていること)も、十分ありえた、ということだけです。戦争放棄の考えの起源について私が確実に知っているのは、ホイットニー将軍が私に、ちょうどここにあるような一片の紙を手渡した、ということだけです。
古森 リーガル・サイズのペーパーですね。
ケイディス そうです。ちょうどここにあるのと同じようなものでした。ホイットニー将軍はそこに三つか四つのことを書いてよこしました。そのひとつが戦争の放棄に関するものでした。もうひとつは華族に対して、もうあらたに称号は与えないということ、他のひとつは日本の予算をイギリス・システムと同じパターンにする、ということでした。私はこのイギリス・システムの予算というのがどんなものか知らなかったので、財政にくわしいフランク・リゾーにその予算に関する仕事を頼みました。ホイットニー将軍は、“マッカーサー司令官は日本の憲法がこれらのことを含むよう望んでいるが、それ以外の部分については君たち(ケイディス氏ら)自身の判断でやるようにと言っている”と私に告げました。ホイットニー将軍から渡されたこの一片のノートが、一体どのような経緯でうまれたか、私は全然知らなかった。尋ねてみようともしなかった。その後、憲法起草が終わってからもずっと保管しておけばよかったが、それもしなかった。そもそもホイットニー将軍が私にくれたのだから、私がその後もとっておけばよかったのです。しかし私は日本を去る時に、その紙を歴史的文書だと考えたため、ホイットニー将軍にとっておきたいかどうか尋ねたのです。彼は「イエス」と言ったので、私はそれを同将軍に渡しました。そのままそのノートの行方がわからなくなってしまったんです。一体どうなったのか私はわかりません。いずれにせよ、その紙に書かれてあったのが、ホイットニー将軍の手書きか、それともマッカーサー元帥自身が書いたものか、私にはいまもって確実にはわかりません。なぜなら二人の筆致はとても似ていたからです。
もしその紙が発見されて、書かれているのがマッカーサー元帥の筆跡とわかれば、戦争放棄その他の考えはマッカーサー元帥からでてきたと私は考えるでしょう・・・・・・しかしもしホイットニー将軍の筆跡であれば、マッカーサー元帥が憲法の中に含むべきと考えたことをホイットニー将軍に(口述して)書かせたのであって、その場合、マッカーサー元帥はそのすぐ前に、幣原男爵と会っているので(戦争放棄の)発案者は幣原氏ということになるのかも知れない・・・・・・私にはどうもはっきり推測もつかないのです。
古森 俗にマッカーサー・ノートと呼ばれているのが、その黄色い紙のことなのですね。そこには戦争の放棄のほかに天皇が国家元首としての地位を保つことなどが書かれていた、と聞きますが。
ケイディス そうです。
古森 それでその内容が実際にマッカーサー元帥みずからがペンをとって書いたか、それともホイットニー将軍が書いたかどうかも、あなたにはよくわからないというわけですね。
ケイディス マッカーサー元帥のやり方をよく知っていた人たちの大部分は、彼自身がホイットニー将軍に口述筆記させたのだ、と信じていました。なぜならマッカーサー元帥はそういう口述筆記を頻繁にやっていたからです。自分自身でなにかをかくということはほとんどしませんでした。“元帥のやり方をよく知っている人たち”とは、当時、彼の部下だった将校のことです。そのころ元帥はよく、“私が思うに、日本の憲法は--”という調子で述べ始め、それを部下の将校がよく筆記したものなのです。その問題の紙も、いま考えれば、本当に私がずっととっておけばよかったと思います。額に入れて飾っておけばよかったのです。(笑い)
古森 そうでしょうね。額に入れて飾る価値は十分あったですね。ところでケイディスさん、そのいわゆるマッカーサー・ノートですが、本来は日本が単に紛争解決の手段としての戦争を放棄することのみならず、自国の安全保持にも戦争を放棄するというのは、固有の自衛権をも否定してしまうに等しい、と多くの人がこれを解釈していますが。
ケイディス そうです。それだけでなく、(マッカーサー・ノートは)さらに一歩進んで“自国の防衛のためでさえも”、戦争を放棄する、と述べていたのではないですか。
古森 そうですか。私の持っている資料では、“自国の安全を維持するためにも”となっているのですが。もしそうなら、これは固有の自衛権の否定に近いのではないでしょうか。
ケイディス はい、もしそう書かれているならそのおとりですね。ただ私は原文は少し違ったふうに記憶しています。私の記憶では、“自国の防衛のためでさえも”戦争を放棄する、といった趣旨の記述があったようです。この点について私は、道理に合わないと思いました。すべての国は自己保存のための固有の自衛の権利を持っているからです。
だから私が憲法の第九条の草案を書く時、その部分をあえて削除しました。だからあなたの持っている資料は、完全な原文ではないと思います。私自身がその自衛のための戦争をも否定、という部分をあえて落としたのを、はっきり覚えているからです。そのことについてホイットニー将軍から“君はその部分(自衛のための戦争をも放棄)を憲法原案に含めなかったじゃないか”と問いつめられました。私はそれに対し、“それが現実的ではなかったから削除したのです”と答え、“一国が外国から侵略を受けてもなお自国を防衛することができない、などといかにして主張することができるでしょうか”と説いたのです。ホイットニー将軍は私の言い分にさらに反論しました。しかし結局は憲法は(私の主張どおり)マッカーサー元帥によって承認されたのです。そして幣原首相らに送られたのです。あなたは(マッカーサー・ノートの)完全な本来の原案を持っていないのでしょう。
古森 そうですか。
ケイディス 問題の部分は、“自国の防衛のためでさえも”、あるいは“自国の保存のためでさえも”となっていたはずです。いや、“自国の安全保障のためにも”だったかも知れない。そうです。思い出しました。“自国の安全保障のためにも”です。この字句こそがまさに難点だったのですが、故意に削除されたわけです。
古森 で、その字句を故意に削除するということは、あなたがやったわけですね。
ケイディス そうです。私が削除しました。
古森 間違いなくあなたがやったのですね。あなた自身の考えにもとづいてやったのですか。
ケイディス はい。しかし削除した後、私はホイットニー将軍にその旨を説明しました。“この字句は削除しました。なぜなら自分自身を守らない、一国が自国自身を防衛しようとしないと考えるのは、現実的ではないからです”。と、私はこういう言葉を使ってホイットニー将軍に説明したのです。
古森 もし、あなたがそれを削除していなかったら、日本はいま安全保障や憲法の問題をめぐって、きっともっと多くの困難に直面していたかも知れませんね。
ケイディス 憲法起草後、もちろん芦田均氏(当時、衆議院憲法改正特別委員会委員長)が“芦田修正条項”を持ち出してくるわけです。もっとも芦田修正については、このインタビューの後の方できっとふれるのでしょうね。
(つづく)


by 王マイゴッド
習近平氏に人権弾圧抗議