民主党代表の小沢一郎氏は日本の対外活動について、なにかと国連を持ち出します。国連が関与し、認知する活動ならば、無条件に賛成、アメリカが主導する活動には、これまた無条件で反対とも思われるほどの国連偏重です。
その国連全面信奉の態度は国連に無関係、あるいは批判的な事象にはなにがなんでも反対、それ以外の思考は頑迷に排除するという感じです。一神教の絶対信仰、国連信奉原理主義とでもいえましょうか。
しかし国際連合なる存在が小沢氏の唱えるように実効があるのでしょうか。
国連の軌跡はまったくの正反対の現実を明示しています。
国連が日本を守ってくれるのか。
国連が戦争を防止できるのか。
国連が正義を貫くのか。
そもそも国連自体にどんな力があるのか。
いま明らかな事実は国連がきわめて無力、独善、偏向の機関であり、日本の国家安全保障をそんな機関の手にゆだねることなど、危険このうえない、ということです。
だから小沢一郎氏の国連中心主義は危険なのです。なにしろ幻想に立脚する主張なのですから。
さあ、国連のそうした実態をこれから少しずつ報告していくことにします。
私が以前に産経新聞に書いた長期連載「国連再考」と、その連載を基礎として出した単行本「国連幻想」からの抜粋が主体ですが、新しい情報を必要に応じて入れていきます。
まずは国連は日本の拉致問題でなにをしてくれたか、の報告から始めます。
国連は日本国民の悲願である北朝鮮による日本人拉致問題の解決にさえ、反対の立場をぶつけてくるという面を持っているのです。
拉致事件で知る各国の独善
日本のこの態度は敗戦の苦痛な体験や戦後の特殊な国家観などを原因とするのだろうが、国連を国家エゴのにごりのない澄んだ水のような公正な存在とみるところから出発してきた点では純粋だといえよう。
国連を重視し、尊重する国はもちろん他にも多い。だがほとんどの場合、国連を自国の利益の追求手段とみなし、その範囲で国連の現実を利用するという姿勢が明白にうかがえる。ところが日本は国連自体を汚れた世俗の世界での聖なる神殿とみなし、理想の推進役とする美化の傾きが強いようなのだ。
しかしそんな日本の背中をどしんとたたくように、この傾きを正す効果をもたらした最近の実例が拉致事件がらみの国連人権委員会での事態だった。
国連人権委員会は2003年4月、ジュネーブでの会議で北朝鮮の人権弾圧を非難する決議案を審議した。決議案は日本人拉致事件の解決をもうたっていた。欧州連合(EU)の提案だった。北朝鮮の人権弾圧はあまりに明白であり、日本人拉致も北朝鮮首脳が認めている。国連の人権委員会が人権擁護という普遍的な立場からその北朝鮮を非難することは自明にみえた。
ところが委員会加盟の五十三カ国のうち賛成したのは半分ほどの二十八カ国にすぎなかった。中国、ロシア、ベトナム、キューバ、マレーシアなど十カ国が反対票を投じていた。インド、パキスタン、タイなど十四カ国が棄権し、韓国の代表は投票のためのボタンを押さず、欠席とみなされた。日本国民の胸を刺す自国民の過酷な拉致という非人道行為を非難することにさえ賛成しない国が多数、存在する現実は年来の日本の国連信仰とはあまりにかけ離れていた。
「人権抑圧を非難する決議類にはとにかくすべて反対する国が多いという国連の現実を改めて知らされ、怒りを感じた。中国やリビア、ベトナム、キューバなど人権抑圧が統治の不可欠要件となっている独裁諸国がこの国連人権委員会を仕切っているわけだ」
拉致家族を支援して、国連人権委員会へのアピールでも先頭に立った「救う会」の島田洋一副会長(福井県立大学教授)が国連への失望を語る。事実、中国の代表は今回の審議でも「北朝鮮がすでに多数の諸国と対話を始めた」とか「決議の採択は朝鮮半島の緊迫を高める」という理由をあげ、反対の演説をとうとうとぶっていた。
「救う会」の島田氏らは二年前に国連人権委員会の強制的失踪(しっそう)作業部会に拉致事件の窮状(きゅうじょう)を申し立てたが、拒まれた。北朝鮮がなにも対応を示さないため、という理不尽な理由からだった。同じ人権委員会はその一方で九〇年代には日本の戦争中のいわゆる「慰安婦問題」を再三にわたって取り上げ、スリランカ代表が作成した「報告書」など極端に選別的なアプローチで日本を糾弾し続けているのだ。
国連でのこの種の関係各国の政治的な駆け引きは日本側のODA(政府開発援助)依存外交をあざ笑うのかと思えるほどみごとに、日本の期待や願望を踏みにじり、裏切っている。
国連人権委員会のいまの議長国はカダフィ大佐の独裁で悪名高いリビアである。自国内で人権を弾圧する国であればあるほど、この人権委員会に入り込み、内部から国連による自国への非難を阻む、という実態は周知となった。だからこの委員会では中国に関してチベットや新疆での少数民族の弾圧や気功集団「法輪功」、民主活動家の弾圧への非難の動きなど、芽のうちに摘まれてしまう。
国連では人間の基本権利の擁護という最も普遍的かつ人道的であるはずの領域でも、日本国民の大多数が描く崇高なイメージとは対照的に、加盟各国の独善の政治思惑がぎらぎらと発光する。個々の国家の利益や計算の追求が生むなまぐさい空気が公正であるはずの論議の場をおおい尽くす。
日本人拉致事件をめぐる国連人権委員会での日本の体験は国連のこんなしたたかな現実をいやというほど明示したのだった。(ワシントン 古森義久)


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