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マケイン候補のベトナム戦争観は――捕虜だったが、戦後は対ベトナム国交を求めた

2008/04/24 19:00

 

アメリカの大統領選挙も民主党の指名争いがさらに熱気を帯び、このところ日米両国のマスコミとも、クリンントン対オバマの対決ばかりを大々的に報じています。

しかし共和党のジョン・マケイン候補もすでに自党の指名獲得を確実にして、積極的なキャンペーンを展開しています。包括的な経済政策の発表も、その一環、全米各地を回って、マケイン流保守主義を訴えることも、恒常的に続けています。

さてそのマケイン候補といえば、ベトナム戦争で5年半の捕虜生活を送り、拷問にも耐え、他の捕虜たちを指導し、軍事機密を守ることに成功したという体験から、その存在をまず全米で知られるようになったことは周知の事実です。
ジョン・マケインといえば、ベトナム戦争というのが、彼が政治の世界に入ってからも、定着したイメージでした。

写真はベトナム戦時の海軍パイロットとしてのマケイン氏。
John McCain













                      捕虜として負傷の手当てを受けるマケイン氏。
John McCain                 












ではマケイン氏はベトナム戦争をどうみているのか、その点に触れるコラム記事を産経新聞に書きました。

以下の紹介します。4月24日朝刊の記事です。

【あめりかノート】ワシントン駐在編集特別委員・古森義久

2008.4.24 02:38

 ■消えない戦争の光と影

 米国の今回の大統領選挙でもまた、ベトナム戦争がキャンペーンの背後の要因として、意外と大きくなりそうである。共和党候補指名が事実上、決まったジョン・マケイン上院議員に、あの戦争中、5年半も捕虜となり、その刻苦を称賛されるようになった経歴があるからだ。

 前回2004年の大統領選でも、ベトナム戦争はその終結から30年近くが過ぎていたのに、大きな影を広げた。民主党ジョン・ケリー候補が海軍将校として北ベトナム側のゲリラと果敢に戦ったという「戦歴」を宣伝したからだった。ケリー氏は実際にはその後の反戦活動で全米に名を広めていたから、戦歴を誇ることには反発が激しかった。

 しかしマケイン氏は「あの戦争は米国にとっても、敗れた南ベトナムの国民にとっても、それなりの大義や目的があった」という立場を一貫してとってきた。個人としてのベトナムへの愛憎が錯綜(さくそう)するような思いも、いかにも深く激しくみえた。同じベトナムで3年半ほど戦争や革命を報道した私が上院議員1期目の彼に「ベトナム戦争の意味について」などという名目で会見を求めると、いつもすぐ応じてくれた。私のベトナム観にも関心を示し、びっくりするほど長い時間を費やして、捕虜時代の苦労や米国ベトナムとの国交樹立への希望を語ってくれた。

 そうした彼のベトナムに対する理と情の屈折の極限をみたように感じたのは、1991年の上院公聴会だった。ベトナム戦争での行方不明の米兵問題を論じるこの会議での証人は元ベトナム人民軍大佐のブイ・ティン氏だった。

 ティン氏は73年3月に南ベトナムを撤退する最後の米軍を見届ける際も、75年4月に人民軍が当時の南ベトナムの首都サイゴンの大統領府に突入して、革命旗を掲げ、戦争に終止符を打った際も、現場の最上級将校だった。だが抗米闘争のそんなヒーローが90年にはフランスに亡命し、翌年、米国にきたのだった。英仏語に堪能なそのティン大佐は実はマケイン氏が捕虜のときの尋問役の一人だった。当時の米兵捕虜の尋問は拷問を伴うことも多かったという。

 「再会できてうれしいです。大佐!」

 公聴会の議員側の中心に座ったマケイン氏はこう述べて、顔をなんとも複雑にほころばせた。本当に再会を喜ぶ笑みなのか、こみあげる感慨や怒りに動かされたほころびなのか、わからなかった。ただ内面の強く激しい思いをいやでも感じさせる表情だった。

 ティン氏は故国の政権の共産主義独裁への失望を語った。ベトナム共産党が民族の和解に背を向けて、旧政権関係者を弾圧し、国民の自由や創造を踏みつぶしたと非難した。マケイン議員は表情を硬くして聞いていた。

 米国社会からベトナム戦の症候群とか後遺症という言葉が消えてもう長い。戦争中に北ベトナム側を政治色のない民族和解の平和志向勢力として位置づけ、自国の政策を糾弾した女優のジェーン・フォンダさんや歌手のジョーン・バエズさんも、「私は間違っていた」と認めてしまった。マケイン氏の戦争観が多数派に定着したということだろう。だがそれでも今回もまたベトナム戦争が大統領選で論じられるのは避けられないようだ。ベトナム抜きに人間・マケインを語れないからでもあろう。とにかくあの戦争が米国社会に投げる光と影はまだまだ消えないようなのである。(こもり・よしひさ)

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2008/04/24 19:44

Commented by ooosolemiiyo さん

自分は、オバマ氏は大統領になれないと思います、それは、彼が、黒人だからではなく、彼の目です、眼。

彼の眼の奥底に眠る、暗闇、悲しみ。

彼は、黒人の希望の星なのかもしれないが、自分には、絶望が、彼の眼の奥底に見える。

近々の米国で、こう云う眼の候補者は大統領になれない。

米国民は、最後の判断で、この奥底に眠る暗闇を四年間に渡って、付き合うことを避ける、拒絶する。

 
 

2008/04/24 21:55

Commented by 精子 さん

>とにかくあの戦争が米国社会に投げる光と影はまだまだ消えないようなのである。
自国が戦場にならなかったとしても戦争とは長く後を引くものなのですね。
いわんやこの日本は。。。

 
 

2008/04/25 07:53

Commented by nihonhanihon さん

ベトナム・朝鮮半島・キューバ・・・うーん・・・

 
 

2008/04/25 08:52

Commented by tatu62bb さん

ベトナム戦争と聞くと、学生時代を思い出します。公的に意見表明した数少ない機会でした。当時、学生運動が持て囃されている時、北爆反対のアッピールをゼミ一同で出したいと言うとき、一人有志に替えてくれと反対意見を述べました。当時文藝春秋等を読んで、民族独立運動と言うより共産ゲリラの南ベトナム侵略戦争と見ていました。その後の歴史はそれを証明しました。しかしこの戦争で、東南アジアの共産化は相当程度食い止められたと秘かに思っています。北朝鮮や東ドイツのあり様、その後の中国、ベトナムの変化を見ていると、人間の営みの難しさを感じざるを得ません。ジェーンフォンダやジョーンバエズが「私は間違っていました」と言うことですが、その事実は良く知りません。こうした報道は日本では流されませんから。更に言えば、こうした犠牲の上に、日本は貿易立国として豊かに生きています。

 
 

2008/04/25 11:41

Commented by 古森義久 さん

dojht-hbsty さん

なんか詩的なコメントですね。
果たしてどう展開することか。

 
 

2008/04/25 11:41

Commented by much さん

古森様
新聞で記事を拝見しましたが、写真があるとインパクトがあります。

>女優のジェーン・フォンダさんや歌手のジョーン・バエズさんも、「私は間違っていた」と認めてしまった。マケイン氏の戦争観が多数派に定着したということだろう。

これは私も知りませんでしたが、マッカーサーが権威ある下院の公聴会で「日本の戦争は自衛のためであった」という発言を、日本のマスコミが報道しないのだから、さもありなんと思う。
当時、学生運動盛んな頃、北爆反対、或いは安保反対等と叫んで治安を乱し公共財を破壊し人を傷つけた連中が、ジェーン・フォンダや歌手のジョーン・バエズのように、間違っていたなんて言葉は、この日本では寡聞にして存じません。むしろ、今の若い連中は体制に刃向かう勇気もないのか、なんていう始末。連中は謝罪も反省も、要求するのであって自ら行うべきではないということでしょうか。

 
 

2008/04/25 11:46

Commented by 古森義久 さん

tatu62bb さん

往時から識見があったのですね。
ベトナム戦争は戦争を仕掛ける側(北ベトナム側)からすれば、ご存知のように民族独立闘争と共産主義革命と、車の両輪の上に成り立つ戦いだったわけですが、日本のマスコミや識者の大多数は民族闘争の側面しかみず、共産主義革命の側面を否定していました。壮大な事実誤認、あるいは誤認ごっこでした。
私も恥ずかしながら、日本の新聞を読んで、共産主義革命の部分を知らないまま現地に特派員として赴任するという恐ろしいミスを冒しました。もっとも現地ではすぐに、「これはヘンだぞ」「これは違う」と気づきました。
その時代に日本にいたまま、あの戦争の本質をみていたとすれば、すごいですね。

 
 

2008/04/25 11:53

Commented by 古森義久 さん

much さん

日本でもベトナム戦争に対しては単なるアメリカ帝国主義の侵略だとすます向きは多かったですね。
しかし実際には南ベトナム国民の大多数は北ベトナムの共産党による支配を嫌い、恐れていました。北はその南に対し、武力での併合を目指し、戦いを始めました。南が負けそうになるのをアメリカが助けました。
だから北ベトナムが武力で南ベトナムを制圧すると、南の国民は喜ぶどころか、貧乏人までが、小さなボートに乗って、国外に脱出を始めたのです。
当時2000万の人口のうち200数十万が諸外国に逃げました。
「解放」されたはずの国からなぜそんな多数の国民が逃げるのか、という疑問を私もよく呈したものです。

以上の経緯をまったく知らずに、ベトナム戦争とはベトナム人民がアメリカを破って、祖国を解放した、なんて簡単に書いている日本の「識者」がまた増えてきたようです。

 
 

2008/04/25 12:00

Commented by venom さん

司馬遼太郎でしたかね、同じ分断国家の内戦で、朝鮮戦争ベトナム戦争を比較したのは。 

朝鮮戦争では、韓国側が北に激しい敵意を燃やし、韓国軍も勇敢に戦ったのに、ベトナム戦争では北への激しい憎悪が見られず、南ベトナム政府軍にも戦意が感じられない。 なぜだろう?

その違いは、韓国人が誠に政治的であるのに対し、ベトナム人は政治的でないと。 日本人も、政治的なことに熱意を燃やす人たちは一部しかおらず、一般人はたいてい日常の生活しか関心ないですよねえ。

 
 

2008/04/25 13:09

Commented by やせ我慢A さん

革命を勝ち取るまでは理想に熱狂するのに、革命が達成すると失望したり殺されたりするのが、彼らのパターンですね。

なのになんで繰り返すのだろう。
いいかげんに、先人の経験を学べばいいのにと不思議です。

 
 

2008/04/25 13:34

Commented by unimaro さん

お邪魔いたします。
お疲れ様です。

人間的な部分で誰が米大統領にふさわしい人間か、と見ると、今まで私が頂いている情報からは、マケイン氏以外は無いです。
ご本人、周りで協力している方々、ご本人の経歴など、マケイン氏の人だらなのだろうなー、と思わせます。

私はあほな上勉強不足なので外人(米人以外)一般知識程度もありませんが、今まで無かったようなタイプの人が大統領になるのではないですか?

 
 

2008/04/25 17:56

Commented by 花うさぎ さん

次のエントリーでしたか?。

同じベトナム人が南と北に分かれて戦い、南のバックにアメリカ、北のバックに中国とソ連がついた戦いですよね。

これがはじめからベトナム人とアメリカの戦いなら民族独立戦争といえたでしょうけど。

あのときの記憶は、結果的にアメリカは反戦の国内世論に負けたというイメージでした。

 
 

2008/04/25 20:39

Commented by 古森義久 さん

venom さん

南ベトナムの軍隊も最後の段階ではかなり勇敢に戦いました。
しかしアメリカ議会の民主党に軍事援助を切られ、兵器や弾薬が不足して、砲撃もできないところまで追いつめられていました。

しかも相手の北ベトナム軍正規師団はソ連と中国から無制限に支援を受けた強力軍団でした。そんな部隊が10数個師団も集結して、サイゴン総攻撃をかけたのです。

 
 

2008/04/25 20:40

Commented by 古森義久 さん

unimaro さん

日本ではマケイン氏は知られていませんね。
しかしアメリカでは今回の大統領選挙の前の段階で、きわめて知名度が高くなっていた政治家です。
これからまた日本でも「マケインとは」なんて特集がマスコミをにぎわすことを期待していますが。

 
 

2008/04/25 20:47

Commented by 古森義久 さん

hanausagi さん

ベトナム戦争とは北ベトナムが南ベトナムを滅ぼした内戦でもありました。
南ベトナムがフランスアメリカへの依存が高かったため、「民族解放」がうたわれたけれども、南ベトナム側にも自立の意識や実績はありました。

ただ北ベトナムが仕掛けたこの闘争はマルクス・レーニン主義を信奉する政治勢力による共産主義革命でもあったのです。ベトナムの政治勢力のなかに、民族独立を目指すが共産主義には同調しないという人たちも多々いましたが、みなホーチミンの率いる共産主義勢力に抹殺されていったのです。

日本の多くの「識者」は戦争のこの側面をみず、ベトナム共産主義勢力自身が打ち出した「この闘争は祖国を思うすべての民族解放勢力による戦いであり、イデオロギーはない」という壮大なプロパガンダをそのままオウム返しに唱えていたということです。

民族解放勢力は平和勢力であり、民族和解勢力だから、虐殺などするはずがないという大前提から「クメール・ルージュは優しい革命勢力」という幻想が生まれたのかも知れません。

 
 

2008/04/25 22:43

Commented by 花うさぎ さん

To 古森義久さん

>「この闘争は祖国を思うすべての民族解放勢力による戦いであり、イデオロギーはない」という壮大なプロパガンダをそのままオウム返しに唱えていたということです。

プロバガンダ、彼らの得意とする専売特許みたいなものですね。

私の学生時代は全共闘盛んな時代でした。体育会の幹部だった私はこれらと対峙してましたが、討論しても話し方、使用文字、考え方等々、自分の目線でなく何かに取り憑かれているような印象でした。

多分、この時期だったと思います。小田実のベ平連が賞賛されていましたが、この男の顔をみて生理的に受け入れられないタイプだと漫然と感じていたのを思い出します。

ジョーンバエズは好きでしたが、歌詞の意味も理解せずに英語で口ずさんでました(^^)。

ベトナムは大東亜戦争では日本と浅からぬ関係にあった国ですから、上手く民主化してくれることを願っています。フランスに勝ち、アメリカに勝ち、中国にも勝った世界一強い国ですから可能性は有ると思ってます。

 
 

2008/04/25 23:14

Commented by やせ我慢A さん

そういえば、闘争中の共産主義者と新興宗教の信者は似てますね。
いまなら、某学会員の方々とそっくりです。
体質が合うのでしょう、どうりで中国を礼賛するはずです。

 
 

2008/04/25 23:48

Commented by RAM さん

古森様、こんばんは。

この件に関しては、以前も書きましたが、南ベトナム政府高官の倅と友達で、
彼からすれば、まさに北から侵略を受けていた、と言う風に聞かされており、
私も、その様に見ていました。
当時は、何故、朝鮮戦争のような停戦の仕方が出来ずに、
あの、日本に勝ったアメリカが、ずるずると押されていたのか、
共産勢力は、それほど強いのかと、疑問と怯えがありました。
今にして思えば、あれは、北ベトナムや、それを後押ししていた
東側陣営が勝ったのではなく、
単にアメリカが、途中から勝負を投げたのだな、と言うように、思えますね。
そのあおりを喰らった数千万人は、たまらないでしょうけど・・・。

 
 

2008/04/26 00:07

Commented by nakane さん

古森様

お久しぶりです。
とは言っても、時たま拝見させてもらいましたが。

 手段を選ばなければ、アメリカベトナム戦争に勝てたと思います。自分に従わない勢力(疑わしい者を含めて)を完全に抹殺すれば済む事ですから。
 しかしアメリカの理念、自由(Freedom)を大切にする精神が、それを否定した。だが北の連中はそれを平気で実行した。だから勝てず、それがトラウマとして残った。そのような気がするのですが、如何な者でしょうか?

 
 

2008/04/26 00:51

Commented by 古森義久 さん

nakane さん

まったくそのとおりです。
アメリカがその気になれば、北ベトナム領内へと地上部隊で正面から攻撃できたわけです。南ベトナム軍を投入して北の侵攻もできたでしょう。
だが種々の政治的理由で、それができず北ベトナムに対しては軍事関連目標(北はそうではないと主張しましたが)にしぼった空爆しかできなかった。

しかもアメリカ軍は1973年3月に完全撤退しました。しかし北ベトナム軍は南領内から撤退しなかった。そしてそれからの2年余り、ベトナム戦争というのは北と南の戦いだったわけです。
だからアメリカ側にはベトナム軍事関与で目的は達成できなかったけれど、敗北したという認識も多数派にはありません。比喩的に「負けた」とはいいますが。

だからマケイン氏は自国の軍事行動について「勝利を目指すことが明確で、
しかも勝利できる能力を発揮できることがわかっている場合のみ軍事介入すべきだ」という趣旨を主張し続けています。
ベトナム戦ではアメリカは勝利へのシナリオを持たなかった、という意味です。

アメリカが北ベトナムを徹底して軍事攻撃しなかったのは、自国内の反対が最大の要因でしょうね。それと冷戦時代だから、中国やソ連が出てくる危険もあったでしょう。道義的な自粛も大きかったといえます。

 
 

2008/04/26 00:53

Commented by 古森義久 さん

RAM さん

アメリカ国内にはご存知のようにベトナム人が150万近くもいますが、みな南ベトナムから脱出した人、あるいはその子や孫たちです。
彼らのアメリカ社会での同化や成功、繁栄をみると、あの戦争の真実が浮き上がります。
日本ではなかなか受け入れられない真実かも知れませんが。

 
 

2008/04/26 01:03

Commented by dpal451 さん

 古森様 こんばんは。

 「ベトナム戦争とはベトナム人民がアメリカを破って、祖国を解放した」という愚かな印象を当時は無意識的に持っていました。

 「ホーおじさんはいい人で、ディエンビエンフーでフランス軍を破って独立を勝ち取った。そしてその独立を妨害していたのがアメリカである」なんて思っていましたので、今から考えるとその幼さに呆然としてしまいます。しかし、それが時代の空気だったのですよね。

 これらの妄想から覚めたのは、遅かったとも言えますがポルポトの大虐殺からでした。その後は共産国はどこでも似たような虐殺があり、「共産党黒書」では全世界で1.5億人ぐらいが殺害されたことを明らかにしました。

 個人的には現在のベトナムがドイモイを進め、それがやがて民主化と多党化を認めるところまで行ってほしいと願っていますが、共産主義の独裁的残虐性の歴史を見ると、それも幻で未だ現実的ではないと考えています。

 

 
 

2008/04/26 02:07

Commented by みなとの石松 さん

マケイン氏に対抗している、クリントン氏とオバマ氏
そのオバマ氏と同じ市の名前というだけ?で、闇雲に応援する様をTVで時折観るにつけ、背筋が寒くなるのは私だけでしょうか...。
その昔、"一億総はくち"、ということばが行ったのが思い出されます。
尤も、この日本国には、芯の通った見識ある御仁が健在なのは言うまでもありませんが。
かの市が、見識ある人からは、"悪しきパロディーの夢でも見ているのだろう"、と観られているのかもしれませんが...。

 
 

2008/04/26 13:19

Commented by venom さん

To 古森義久さん

>南ベトナムの軍隊も最後の段階ではかなり勇敢に戦いました。

「ブラックタイガー」でしたかね、南ベトナム政府軍の、勇猛な特殊部隊は? テト攻勢の頃の勇戦振りは記憶に残っています。

空軍司令官は、グエン・カオ・キでしたっけ? 彼も勇敢な飛行機乗りだったけど、その後カリフォルニアに移住して、スーパーマーケットを開業したとか。 こうやって、消滅した国の記憶は、歴史の隅っこに埋もれて行くんですね。

 
 

2008/04/26 14:19

Commented by RAM さん

To venom さん
グエンは、漢字では「阮」ですね。名族の名字です。
私の友人も、ベトナム姓は「グエン」でした。
日本にいるときは、母方の日本姓を名乗っていましたが・・・。

 
 

2008/04/26 15:40

Commented by venom さん

大統領も、グエン・バン・チューでしたっけ。
その前はゴー・ジン・ディエムだったかな?

僧侶の焼身自殺を「人間バーベキュー」と呼んだのは、
マダム・ヌーでしたっけ?

政治犯はコンポンソム島に送られるとか、ウェストモーランド
司令官とか、ソンミ村事件のカリー中尉とか、色々思い出します。

 
 

2008/04/26 22:47

Commented by 古森義久 さん

venom さん

グエン・カオ・キはいまも元気のようです。
最近、ベトナムを訪れ、新政権への協力を言明しました。
30年が過ぎての「和解」です。

しかし戦時のサイゴンでは私の目前で、「このまま故国に留まり、死ぬまで戦う」と述べていた姿も忘れられません。当時の私はその言葉を信じこみました。人間不信が始まったのは、このころからか。

ちなみに私は自分のベトナムの戦争や革命の体験を『ベトナム報道1300日』(筑摩書房、講談社文庫)という本に書きました。講談社出版文化賞のノンフィクション賞というのをもらいました。

 
 

2008/04/26 22:49

Commented by 古森義久 さん

RAM さん

ベトナムの名前、グエン・バン・チュー大統領の場合など、グエンが厳密にはファミリーネームなのでしょうが、あまりにグエンやチャンという名が多いため、ベトナム人同士でも、三番目の「名」を「姓」のようにして使っているようです。
だからチュー大統領が正式呼称でした。

 
 

2008/04/26 22:54

Commented by 古森義久 さん

dpal451 さん

あなたが「愚かな印象」と評された誤解はベトナム戦後の数年間で、日本でも完全に駆逐されたのですが、それが最近になって過去の事実を何も知らない(あるいは知らないふりをする)人たちによって、また元の「誤認」へと
リセットされている感じがあります。
まあ正面からその「誤認」を主張することは、最近、亡くなった小田実さんでさえ、もうなかったですけれど。

 
 

2008/04/26 23:15

Commented by nihonhanihon さん

古森さま
あつかましい質問をすみません。
元々は「3番目の名前」は「2番目の名前」の一部です?新生児への命名は…?
(グェン・バオ・ダイのバオ・ダイは「保大」あるいはほー・チ・ミンのチ・ミンは「志明」)
現実には古森さんのおっしゃる用法が広く一般的とお聞きしていますが。
話題から逸れてすみません。

 
 

2008/04/27 00:43

Commented by 古森義久 さん

nihonhanihon さん

私のベトナムについての知識は旧政権時代の体験に基づく部分がほとんどなので、現在の実態とは異なる点も多いことと思います。

 
 

2008/04/27 05:48

Commented by nihonhanihon さん

失礼いたしました。お許しください。

 
 

2008/04/27 18:22

Commented by simesaba0141 さん

 ベトナムは越南と書きますし、その昔は大越と書いてダイ・ベトと自称していたそうですね。

 人名は基本的に漢字三文字で書き表せるようで、サイゴンには今も人名と判る通りが沢山ありますね。

 前にも書きましたが、ちょっとベトナムに居ただけでも、広東語などの南方中国語に似ているなあ、と言う印象がありました。タイ語よりも、もっと中国語に近いと言う感覚でしたね。

 感恩。

 
 

2008/04/27 22:19

Commented by 古森義久 さん

simesaba0141 さん

旧政権時代のサイゴンの主要な街路は、ハイバチュンとか、レロイとか、中国に対抗して戦った歴史上の人物の名など多かったですね。
TUDO(自由)という名の、東京の銀座通りに匹敵する商店街通りもありました。
革命後はそういう名前が「革命」とか「総決起」という名に変えられました。

 
 

2008/04/28 13:39

Commented by simesaba0141 さん

 >古森義久 さん

 なるほどですね。何しろ町の名前をそのままホーチミンにしちゃうのだから、負けた側の哀れさを感じざるを得ません。

 もし日本が占領されたら、皇居前は人民広場に、通りの名前は解放路とかになっちゃったでしょうね。

 でもホーチミンの人々は、いまだに自分の町をサイゴンと呼ぶようです。統一政府も、そこまで押し付けると無用な反発を招くと考えたか、そのままにしています。

 さてサイゴンを訪れた時、象徴的な光景を目にしました。

 一つは、交差点を渡ろうとした金髪の中年女性が、さしてスピードを上げて居る訳でもないバイクが突っ込んできて止まったとたん、手にしていた荷物で若者の頭を殴りつけたこと。

 とっさの行動で、彼らが普段考えている事が判る、そう思いましたね。

 
 

2008/04/28 13:52

Commented by simesaba0141 さん

 もう一つ、象徴的な出来事がありました。

 タンソニャット(これも人名でしょうね)国際空港からの帰り、出国税を払うのですが、これが現地通貨では支払うと、おつりがドルで来るんです。それも、滅茶苦茶悪いレートで。

 いくらドルが欲しいからと言って、これは露骨。そんな訳で、今、私の会社のデスクには、ベトナムで入手した新札の1ドル札が数枚入っています。

 …さらに突っ込んで質問したい向きもあるでしょうが(笑)恐いので使えません(言ってるって(笑))

 
 

2008/04/28 13:58

Commented by 古森義久 さん

simesaba0141 さん

まさかPrinted in DPRK ではないでしょうね。

 
 

2008/04/30 14:08

Commented by simesaba0141 さん

 >古森義久 さん

 …いや、だからその、あの…ゴニョゴニョ(笑)。

 おかしいんですよ、だって新札、ピン札ですよ?どこから仕入れ…あわわわ。

 
 

2008/06/28 21:23

Commented by 古森義久 さん

曹布1C2ジ さん

そうですよ。
私の言論、報道の活動は長いんですよ。
認識してくださって、ありがとうございます。

 
 
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