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ベトナム戦争をめぐる歴史認識、そして謝罪

2006/11/18 07:57

 

数日前からベトナムの首都ハノイにきています。APECアジア太平洋経済協力会議)の取材のためです。

ベトナムは私にとって海外特派員としてのスタートの地なので、独特の思いがあります。その一端は以下に紹介する産経新聞の本日付コラム「緯度経度」の「ベトナム戦争の皮肉な結末」に書きました。

いまベトナムにきて感じることの一つは、あれだけ戦争や植民地支配の被害を受けた国がフランスアメリカ、あるいは日本に対して、「過去の侵略を認めて、謝罪せよ」なんていう態度はおくびにも出さない現実です。

いまのベトナムは官民あげてアメリカ大歓迎、対米友好のムードに満ち満ちています。ベトナム戦争中は米軍機の爆撃をあれだけ受けたハノイでさえ、そうなのです。いまのベトナムの「アメリカ好き」は実に思いがけない旧知の人物からも聞きました。この人物は日本人でもおそらくベトナムを熟知するという点では最高レベルの専門家です。

ハノイに着き、日本のプレスが作業をする部屋に入ってしばらくすると、よく日焼けした紳士に「古森さん、お久しぶり」と声をかけられました。なんとベトナム戦争の終わりにサイゴンで行動をともにした赤旗記者の鈴木勝比古さんだったのです。鈴木さんはいままた数回目のハノイ駐在、赤旗ハノイ支局の特派員です。

鈴木さんとは1975年4月30日にサイゴン(もちろんいまのホーチミン市のことですが)が陥落した直後の混乱の中で会いました。ただし背景は大違いです。私は毎日新聞の記者として南ベトナムの首都サイゴンにずっと駐在していて、戦争の最後を迎えました。鈴木さんは北ベトナムの首都ハノイに駐在して、南を制圧した北軍とともに、5月上旬にサイゴンに乗り込んできたのです。
赤旗と毎日新聞と立場は違いますが、ともに報道記者として助けあうという何日かが続きました。ただしハノイの大学に留学し、勝利した北ベトナムの軍人や高官と行動をともにする鈴木さんと、崩壊した政権の側に駐在してい私とでは、私が彼の教えを請うことがずっと多かったのは当然です。

まあ複雑な経緯は省略し、31年ぶりでその鈴木さんとハノイで会ったのです。そして彼からいまのベトナムについていろいろ聞くうちに話題になったのがベトナムの対アメリカ観でした。鈴木さんは概略、次のように話してくれました。

 「ベトナム政府は経済、外交などで対米接近を政策としており、ブッシュ大統領の来訪も大歓迎している。対米関係への配慮から戦争中の枯葉剤などについても、あえて『民間団体』に担当させて、政府は正面に出てこないくらいアメリカに気をつかっている」
 「一般のベトナム人も経済向上のためにはアメリカとの関係を緊密にするべきだと感じ、アメリカの観光客、企業代表などを熱く歓迎している」
 「アメリカから戦争で受けた被害を問題にするという動きはまったくない。ベトナム人は前向きで、実利的で、過去にはとらわれない」

ちなみにベトナムはフランスの80年もの植民地支配に対しても謝罪や反省を求めたという話はありません。中国や韓国の日本に対する態度とはまったく異なるわけです。もっともフランスアメリカベトナムに対して謝罪をするという兆しはツユほどもみせませんから、それを求めても無理という意識がベトナム側のどこかにあるのかもしれません。 

以上がハノイで感じたことの一端です。

以下は私がハノイで書いた記事です。


ベトナム戦争の皮肉な結末」
 
のどかな田園の風景を眺めながら、タイムマシーンの心境となった。ゆったりと広がる水田に農民が散らばり、水牛までがのっそりと動く光景は30年以上も前の南ベトナムを思わせたからだ。激しい戦争の中でも農村の作業や日常の営みはいつもゆったりとみえた、あのベトナム戦争の驚異の一つだった。

ハノイのノイバイ空港から市街までの40キロ近くの往路は工業や商業の発展を示す工場やビル、看板類も目立った。だがその合間に点在する農家のたたずまいは過去の映像と変わりなかった。ところどころに広がる水田はさらに過去を連想させたのだ。

ハノイの街に入って、「なんだ、サイゴンではないか」と感じた。サイゴンとはいうまでもなく、現在のホーチミン市、ベトナム戦争中は南ベトナムの首都だった。オートバイの洪水が勢いよく流れ、交わり、喧騒を生む光景はちょうど30数年前のサイゴンにあまりにそっくりなのだ。

私はベトナム戦争中、サイゴン駐在の特派員として三年半を過ごした。ちょうど三年目の1975年4月末、当時の北ベトナムの大部隊の総攻撃を受けて、サイゴンは陥落し、そこを首都としたベトナム共和国は崩壊した。その後の半年はハノイからきた新たな支配者たち下で厳しい検閲を受けながら報道を続けた。

その三年半は劇的な出来事に満ち、自分の青春の残りをすべて投入したような虚脱と満足とがあったから、その後もベトナムはずっと特別な意味を持つ地となった。ベトナムという語を聞くだけで、皮膚がぴりっとするような反射感覚がいつまでも残ってしまったのだ。

さて今回、ハノイを訪れたのは1998年以来である。アジア太平洋経済協力会議APEC)の取材のためだった。その前の来訪は89年である。

89年はベトナム軍がカンボジアからの撤退をついに宣言した年だった。ベトナムは79年にカンボジアに軍事侵攻し、大虐殺のポル・ポト政権を首都プノンペンから撃退はしたが、その後は泥沼のような戦いを続けて、国家として疲弊しきった。全世界でも最貧国の部類に落ちていた。そのときのハノイはまさに戦時の首都らしく、すべてを削ぎ落としたような貧しげでスパルタふうな街だった。

98年もベトナム社会主義共和国はドイモイ(刷新)の標語の下に市場経済をたぶんに導入はしていたものの、おりから東南アジアの金融危機の余波を受け、経済は停滞していた。ハノイの街路は依然、自転車ばかりで、オートバイは数えるほどだった。街の質素さも相変わらずで、色彩が少なかった。その前後に訪れたホーチミン市とではちょうどカラー映画と白黒映画の違いだと思った。

8年後のいまハノイはカラー映画の街となっていた。街路を走るのは自転車よりもオートバイが大多数となっていた。市民の服装も表情も明るくみえた。ちょうど昔のサイゴンに似た外観なのだ。そんな時間のズレも、いまのベトナムがなお貧しいことを考えれば、説明がつく。APEC加盟の29メンバーでも国民平均所得ではなお最下位なのである。

ベトナム共産党はそんな窮境を自由経済と外国投資の導入で脱しようとする。

中国と同様の「社会主義市場経済」という、わかったようでわからない標語の下で新経済政策である。だが自由経済も外国投資も経済学的には資本主義の権化だろう。共産主義のテーゼが反動思想として厳しく排除する対象である。サイゴンを占拠した当時の革命政権としての北ベトナムは外国と結びつく資本主義を闘争の標的とさえしてきた。

 そのベトナムが17日、米国のブッシュ大統領を国賓として迎えた。官民あげての歓迎の態勢を示す。ベトナム政府は国家転覆罪の疑いで一年以上も拘束してきた3人のベトナム系米国人を対米友好のあかしに、つい数日前に釈放した。米国民間の人権擁護団体から自国民の苛酷な人権弾圧を指摘されても、ベトナム当局は温和な対応をみせるだけだ。ベトナムは米国となんとしても緊密なきずなを築きたいのである。

 こうした米国への接近と融和、そして共産主義を離れての外資依存の資本主義経済の導入とは、いずれもベトナム共産党が「抗米救国」として戦った米国米国に全面支援された南ベトナムの政府相手の戦争の大義にとって許しがたい背反となる。

 ハノイの明るく活気ある街頭をみて、なんだ昔のサイゴンそっくりだなどとつい感じた私は皮相で不遜と知りながらも、ついベトナム戦争の結末のそんな壮大な皮肉を思ったのだった。

(ハノイ 古森義久

 

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コメント(17)

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2006/11/18 10:08

Commented by sponta さん

古森様

いま「朝日新聞の大研究」を読んでいまして、古森さんの指摘に溜飲を下げ、晴れ晴れしい気持ちでおります。



さて、ベトナムフランスアメリカを憎んでいないが、中国韓国は…。とのご指摘。

私は、ベトナムは属国しての歴史を続けてきたので、大国を憎悪するという発想がないと考えています。

中国には中華思想があるから日本を嫌悪しつづけ、韓国中国という大国に脅かされ続けたもの同士なのに…、という近親憎悪が日本に対して存在する。

映画「王様と私」には、タイが隣国ミャンマーにたいしての憎悪が描かれていましたが、ベトナムはどうなんでしょうか。
長い歴史の中ではぐくまれてきた民族の記憶は、発想に関係する。そんなことを思っています。

暑さ、寒さ、くれぐれも御身ご自愛のこと。

ありがとうございました。

 
 

2006/11/18 10:23

Commented by 古森義久 さん

sponta様

ベトナム中国に対してはきわめて強い警戒感、不信を抱いています。それが嫌悪といえるのかどうか、好きではないことは間違いありません。

忙しい取材中になぜ私がこんなに早く、お返事ができるかというと、朝はまだ行事が始まらず、空白の時間ができるためです。
マスコミのあり方に特別の関心を持たれているあなたについ説明したくなりました。

 
 

2006/11/18 11:30

Commented by 知足 さん

こうした記事への感想を中国韓国に、そして朝日や毎日に聞きたいものだ。
http://medialiteracy.blog76.fc2.com/

 
 

2006/11/18 12:27

Commented by ryotora さん

古森さんの今朝のブログを読んで、不思議なことにとても感傷的な気分になってしまいました。
 戦前派、戦後派などとよくいいますが、最近、私はベトナム戦争時代を知っている人と知らない人でそれに近い程の意識の隔たりがあるのではないかと感じることがよくあります。
そして、ベトナムには、同じアジアの国でありながら、日本よりも深い優しさと同時にしたたかさ、しぶとさを感じます。
しばらくAPECの報道に注目してみることにします。

 
 

2006/11/18 12:54

Commented by 古森義久 さん

知足様

貴ブログへの記載、拝見しました。

 
 

2006/11/18 12:56

Commented by 古森義久 さん

ryotora様

ベトナム戦争は日本の多くの人たちにとっても、深い思いがあるわけですね。でももうその戦争をまったく知らない人たちが増えているということでしょうか。知識として、歴史としては、なおかなりの日本人が意識はしているように思うのですが。

 
 

2006/11/18 13:22

Commented by お絵かき爺 さん

1.朝鮮半島の国とベトナムとの違い。册封時代と同じですね。民族の遺伝的なものでしょうか。フランスとは独立戦争までし、アメリカとは枯葉作戦で大変な目に遭っているのに。どうして我が国だけがいつまでも、中韓にしつこくやられるのか、ご高察を期待しております。
2.共産主義、資本主義を同居させる矛盾、これは最終的にどうなるのでしょう。実状のご観察や、赤旗記者、現地の人の意見聴取などからのご見解を期待しております。
トラックバックさせていただきます。よろしくお願い致します。

 
 

2006/11/18 14:01

Commented by 古森義久 さん

お絵かきじいさん様

ご指摘の2点、念頭にいれさせていただきます。
TBも一部、拝読しました。ずいぶんと奥行きの深いブログですね。

 
 

2006/11/18 18:06

Commented by hiropon さん

>ちなみにベトナムはフランスの80年もの植民地支配に対しても謝罪や反省を求めたという話はありません。

江沢民がベトナムに訪問したときにベトナム側は中越戦争の謝罪を求めたそうですが、江沢民は「もっと未来志向にならなくてはならない」と謝罪を拒否したそうですな。日本敗戦後再び植民地化しようと再侵略したフランスに謝罪を求めず、中国に求めたのは何故?

ベトナムと日本といえば、日本軍の食糧徴発で200万人が餓死したと主張する反日日本人や一部ベトナム人がいたようですが最近その手の主張は現地ではどうなってるんでしょうか?あまりに胡散臭い話なのでベトナム政府が公式に取り上げたことはないそうですが。高山正之氏がベトナム政府関係者に「ウソでしょう?」と聞いたら「政治宣伝だった」とあっさり認めたとコラムに書かれてましたが

 
 

2006/11/18 21:28

Commented by 古森義久 さん

hiropon様

「ベトナムで日本軍のために200万人が餓死」というのは、昔からある話ですね。ベトナム政府は近年は持ち出してきませんが、一時は公式に近い形で述べていたような記憶があります。
もっとも200万というのは物理的にも無理であり、事実の裏づけがないということでしょうね。

旧南ベトナムではむしろ日本軍を知っていた中年以上の人たちは大多数が好意を述べていました(もう30年前の話ですが)

 
 

2006/11/19 00:14

Commented by hiropon さん

>もっとも200万というのは物理的にも無理であり、事実の裏づけがないということでしょうね。

日本軍がクーデターでインドシナ植民地政府を倒したのが1945年3月
日本の終戦が1945年8月

実質5ヶ月の支配で、どうやって200万人も餓死させることができたのか聞いてみたいもんです。
ホー・チ・ミンは独立宣言でフランス・日本の二重支配によって200万人が餓死したと主張したらしいですが。

高山氏のコラムはここで見られますな
このコラムを書いたときは、まだ産経の記者だったのかな?

オウム騒動の原点 学識経験者って何だろう
http://sakura4987.exblog.jp/3667433/
http://kaz1910032-hp.hp.infoseek.co.jp/110717.html

 
 

2006/11/19 07:31

Commented by 古森義久 さん

hiropon様

いまのベトナムが「200万餓死」などといわなくなった理由の一つは明らかに、日本との関係を重視することだと思います。
ベトナムは日本と「戦略的パートナーシップ」を結びました。明らかに中国を念頭においた合従連合の要素のある動きですね。しかもベトナムはいま日本のODAの最大の受け手の一つとなっています。

 
 

2006/11/19 08:46

Commented by sponta さん

古森様 たびたびのご返答ありがとうございます。

私は、エスタブリッシュな方であるのに、無名な私と対話を継続されている古森さんを尊敬して仰ぎ見ています。このようなディテイルを通じてこそ、ウェブ2.0が実現していくと思っていますし、それができないマスコミ者たちの発言は無価値化していくと感じています。

有効な反論ができないため対話できぬ。過去に開陳した事実に縛られて対話できぬ。対話できぬ自らのステークホルダーを明らかにできぬ。それが、マスコミが自壊していく要因であり、厳しい言い方をするならば、それは朝日新聞に限ったことではなく、すべてのマスコミ者が対峙している試金石だと思っております。

>ベトナム中国に対してはきわめて強い警戒感、不信を抱いています。それが嫌悪といえるのかどうか、
>好きではないことは間違いありません。

そうなんですか(諾)。
たとえば、東ヨーロッパ諸国が、ドイツの文化には憧れていたけれど、ロシアの文化には憧れていなかった。
ベトナムフランス文化に憧れているけれど…。
そういう部分があるのでしょうか。

日本と中国の関係にしても、飛鳥以来、中国の文化を取り入れてきたが、平安時代になって国風文化が花開いた。そういう他国への憧れと自分を失わないことというアンビバレンツな思いがあったのでしょうね。

私が古森さんにお伺いしたいのは、ぎりぎりのところで社会主義にとどまっている中国ベトナムが、世界の自由主義経済と、いかにすり合わせを行っているか。という問題です。

ベルリンの壁崩壊で、社会主義が歴史的進化の当然の帰結だという幻想は崩れました。古びたシステムを温存している国どうし、世界と対峙するにはどうしたらいいのか。
ベルリン崩壊以前のソビエトと東欧諸国のような共産党を通じた支配・被支配の関係がベトナムと中国の間に明確にあるならば、東欧諸国のようにそれを打ち破ることで新たな体制を作り出すこともできた。だが、ベトナムの場合は…。
そんな複雑な事情が、ベトナムの人たちの中国への思いがあるのではないでしょうか。

 
 

2006/11/19 08:47

Commented by sponta さん

自説を開陳させていただくならば、

専制、帝国主義、自由主義、社会主義とすすんできた世界の歴史の今後は、新自由主義に進むのではなく、新社会主義にすすむのではないかと思っています。
社会主義が失敗した原因は、個人のありかを労働者に求めたからです。私が考える新社会主義とは、個人のありかを消費者に求めるというものです。

もちろん、その実体は新自由主義に近いものかもしれませんが、生産者の自由を尊ぶ目標よりも、消費者の利益を最重要課題とした社会のほうが、民主主義に近いと思うのです。

ソビエトというシステムは、たばねやすい労働者というモジュールで社会の構成員をセグメント化した。そこに腐敗と崩壊の原因がある。
いまはインターネットがあるので、消費者という極めて捉えどころのないものも民主主義の構成モジュールとして成立する。だから、21世紀の今なら、消費者を基盤にすえた社会主義が可能だと思っています。

日本の選挙では無党派層などと党派に属さない選挙民を形容していますが、それこそ消費者層なんです。
もし、消費者であることを旗印にした政党が誕生したら、無党派層の大部分は含まれてしまう。私にはそのように思えています。

自説開陳、失礼しました。

つつがなく旅程を終えられますことをお祈りもうしあげます。
ありがとうございました。

 
 

2006/11/19 21:38

Commented by 古森義久 さん

sponta様

念のためですが、冷戦時代のソ連と東欧との関係が中国ベトナムとの関係に似ている、ということはありません。
ベトナムは中国の言いなりにはなりません。1979年に中国が50万人の大軍をベトナム領内に侵攻させた戦争をご存知ですよね。中国軍は手痛い打撃を受け、撤退しました。(中国側はベトナムに懲罰を加えるだけだったから、そもそもベトナム領内深くに侵攻する意図はなかった、という説もありますが)
いずれにせよ、いまは中越両国はぶつかっていませんが、対等の関係であり、潜在的な不信感はベトナム側に強いといえます。

 
 

2006/11/20 10:25

Commented by sponta さん

古森様

詳説ありがとうございました。私が、「…」とお茶を濁した部分を明解にしていただきました。

国力という意味で、ベトナム中国は比較にならぬと考えてしまいますが、歴史はそう単純ではないのですね。

きっと同じようなことが北朝鮮と中国の関係にもいえるのでしょうか…。

ありがとうございました。

 
 

2006/11/25 01:56

Commented by 古森義久 さん

sponta様

中国ベトナム、そして中国北朝鮮、この二つの関係の比較はおもしろいですね。
やはり後者の方が距離はずっと近いというのが一般的な観測のようです。

 
 
トラックバック(6)

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