アメリカ44代大統領に当選したバラク・オバマ氏については、その政策、性格、背景、信条などなど、すでに洪水のように情報が流れています。
日本のメディアの報道はまだ詳しくはみる機会がありませんが、オバマ氏の光と影と、どうも光だけを拡大しているという印象が伝わってきます。
アメリカ国民の多数派の信託を得た次期の最高指導者ですから、その選出をまず祝い、登場を歓迎するという態度も必要でしょう。しかしその一方、日本にとってどのようなプラス、マイナスが起きてくるのか、オバマ政権下のアメリカは同盟パートナーとしてどんな変化をみせるのか。オバマ大統領の考え方や政策のあり方を冷ややかに吟味することも必要でしょう。
そのためにはオバマ氏の軌跡をさまざまな角度から調べることが欠かせません。私自身、オバマ氏についての報道は日本のメディアのなかではわりに早い段階に、わりに詳しく手がけてきたような気がします。
その一例として自分自身がほぼ2年前に書いたオバマ氏の紹介レポートを再読してみました。正確にはオバマ氏が大統領選挙への立候補を正式に発表する直前の2007年1月でした。いまから1年と10カ月前ということになります。
その2年前のレポートを読むと、自画自賛ですが、意外といまの状況と整合していると思いました。
オバマ氏自身の大統領選挙での自分自身のプレゼンテーションと、その以前の政治家、活動家としての実際の言動と、その二つの間にはギャップがあり、そのギャップがオバマ氏の実像をモヤの中に留めている、という状況を指します。2年前にも同様のギャップを指摘していたことを自分自身で興味深く再考しました。
この報告は日経BPインターネット版に2007年1月17日に掲載されました。リンクは以下のとおりです。
以下の紹介は一部、省略などしていますが、書き換えはしていません。
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バラク・オバマとは何者なのか――
米国大統領選挙への各候補の模索が始まるなかで、民主党若手の異色政治家バラク・オバマ上院議員の名が彗星にように浮上してきた。
四十五歳、黒人、上院議員の実績わずか二年余り。この新進上院議員の名はいまや米国の各メディアに連日、登場する。
国政の場での政治家としての実績をほとんど知られていないにもかかわらず、オバマ氏には「カリスマ」とか「チャーム」という賛辞の言葉が浴びせられ、次期大統領選での有力候補として語られるようになったのだ。
それはなぜなのか。
オバマ氏は二〇〇七年一月十六日に大統領選への出馬準備のための探索委員会を発足させ、二月十日には正式に立候補を表明するとみられている。
さて名前ばかりが先行するバラク・オバマ上院議員とはいったいどんな政治家なのか。
オバマ氏は短く刈り込んだ髪に痩身、静かな挙措の落ち着いた人物である。
その表情は沈鬱とさえいえるほど抑制され、性格は内向的にみえる。政治を論じる語調もごく穏やかにひびく。
「識者とされる人たちはこの国を共和党支持の赤い州と民主党支持の青い州とに二分したがるようだが、私たちはみないっしょの国民なのだ。みなが星条旗に忠誠を誓い、アメリカ合衆国を守ろうとする、ひとつにまとまった集団なのだ。しかしワシントンの政治指導者たちは常識の枠内で実利的な方法に基づき協力しあうことができなくなったようにみえる」
こんな言葉もその内容はごく平凡で当然ではあるが、思慮深げな表情のオバマ議員の口から出ると、いかにも説得力に満ちて、迫ってくる。
民主・共和、リベラル・保守の対立軸で激しくぶつかりあういまの米国の国政の党派争いを考えると、オバマ議員のこうした言辞は癒しの効果を持つようにも、聞こえてくる。
オバマ議員の生まれや育ちは人種のルツボとされる米国社会でもとくに珍しい。
一般の関心を期せずして誘う興味ある背景だといえよう。
ここでまずそのオバマ議員のおもしろい経歴をたどってみよう。いかにもアメリカ的なのだ。
オバマ氏のフルネームはバラク・フセイン・オバマである。
フセインというミドルネームはケニア人の父バラク・オバマ・シニア、とその父、つまりオバマ議員の祖父がともにイスラム教徒だったことに由来する。
オバマ議員は一九六一年八月、ハワイで生まれた。父はケニアの農家出身、米国留学のための奨学金を得て、ハワイ大学に入った。
母は米国中部カンザス州出身の白人で、やはりハワイ大学で民族学を専攻している間に同議員の父と知り合い、結婚した。
だがオバマ氏が二歳のとき、両親は離婚し、父はケニアに帰ってしまう。
オバマ氏の母はその後、ハワイで会ったインドネシアの実業家と再婚し、息子のオバマ氏を連れて、インドネシアに渡る。
現地ではオバマ氏は数年のうちにイスラム系とキリスト教系の両方の学校に通った。
しかし母親のこの再婚もうまくいかず、オバマ氏は十歳で米国にもどって、祖父母に育てられることとなる。
そして祖父母の応援でコロンビア大学に学ぶ。
コロンビア大学を一九八三年に卒業したオバマ氏は八五年にシカゴの貧困地区に移って、社会福祉の事業を開始した。
大都市シカゴの低所得住民の地域で貧困家庭を相手に救済活動を続けた。
一九八八年にはハーバード大学法科大学院に入学し、九一年に卒業する。
ほぼ同時に米国での弁護士の資格をとった。
同大学院ではオバマ氏は「ハーバード法律評論」誌の黒人初の編集長となった。
弁護士となったオバマ氏はシカゴにもどり、大手法律事務所に入る。
貧しい人たちの市民権の獲得や、その結果としての恩恵の享受の法律業務を扱う。
九六年にはシカゴを抱えたイリノイ州の州議会の議員となる。
そして二〇〇四年十一月の連邦議会上院の選挙にイリノイ州から思い切って打って出て、みごとに当選を果たした。
以後の二年余り、上院でのオバマ議員の活動内容はあまり広くは知られていない。
であるのに、大統領選挙への展望のなかで民主党側の希望の星として急にその名が頻繁に語られるようになったのだ。
とくにオバマ議員が二〇〇六年十二月にニューハンプシャー州で遊説をしてから、全米規模での注視や人気を集めるようになった。
同州は二〇〇八年に本格スタートする米国大統領選キャンペーンで二月に最初の予備選が開かれる州である。
ワシントン・ポストとABCテレビが共同で実施した昨年十二月後半の世論調査では、民主党側の大統領候補のうち、もっとも支持率が高いのはヒラリー・クリントン上院議員で全体の三九%だった。
その次がオバマ議員で一七%を獲得した。
そのあとは前回二〇〇四年の選挙で副大統領候補だったジョン・エドワーズ氏の一二%、二〇〇〇年の選挙で大統領候補だったアル・ゴア前副大統領の一〇%、前回選挙での大統領候補のジョン・ケリー上院議員の七%、という順位だった。
つまり新人のオバマ議員は民主党の大物政治家たちを引き離す高人気なのだ。
ただ一人、先を走るのはクリントン上院議員だけ、ということである。
オバマ議員のソフトな口調での演説は広範な政治各層にアピールするという定評がある。
イデオロギーの対立を排し、民主、共和両党の融和をも訴える。
ここから生まれるのは「穏健なコンセンサス希求の政治家」というイメージである。
だが現実にオバマ氏の上院での投票軌跡をみると、反保守、反ブッシュ政権の色を鮮明にするリベラル志向がきわめて強いことがわかる。
オバマ議員は減税に反対、中北米自由貿易協定に反対、国民皆医療保険に賛成、そしてイラク問題でも米軍のイラク派遣に正面から反対してきたのだ。
民主党のリベラル派を強く支援する全米最大の労働組合組織のAFL・CIO(米国労働総同盟産別会議)はオバマ議員の上院での投票結果をみて、「一〇〇%のリベラル派」と認定したほどである。
いまの米国では一般にリベラル志向は減り気味だといえる。
「あなたは自分自身をリベラルだと思うか」という問いに「イエス」と答える国民は全体の一八%程度にすぎない。
逆に自分を保守とみなす国民は三〇%を越える。
だからオバマ議員もその真のリベラル志向が米国民の目に明白となった場合、それでも大統領選挙での民主党側の有力候補でいられるかどうかは疑問だろう。
このへんの数々の疑問について保守系の大物政治評論家のジョージ・ウィル氏は以下のように論評した。
「オバマ氏は人の心を和らげる資質を感じさせる。ヒラリー・クリントン上院議員とは対照的なのだ。いま民主党側の各候補では先頭を走るクリントン議員は最近、自分のイメージを変えようと努力はしているが、本来、激しい対立を辞さない強硬タイプだといえる。民主党側にはこうした対決タイプの候補をこれから選挙戦で盛り立てていくことへの不安や不満がくすぶっている。調和型のオバマ氏はクリントン議員に欠ける特徴があるからこそ、民主党内部で支持が強くなっているのだ。民主党側ではヒラリー・クリントン議員を自党の唯一の候補として押していくことへの懸念がなお強いのだ」
つまりオバマ議員は癒しの候補だというのである。
そうした素質だけで未知の新人政治家に大統領選への希望をかけるというのだから、二〇〇八年には断然、有利とされる民主党側にもまだまだ弱点や悩みは消えないということだろう。
オバマ人気の上昇はそんな背後のうねりを連想させるわけである。


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